サヴォイア家の歴史と現在の末裔【イタリアの創始者】

サヴォイア家(イタリア語:Casa Savoia)は、サヴォワ(サヴォイア)一帯(現フランス領東部サヴォワ州)に起源を持ち、11世紀から20世紀まで存続していたイタリアの名家・王家です。フランス発祥ですが、やがて拠点をイタリアのピエモンテに移し、16世紀までにイタリア系名家としての性格を強くしていきました。
18世紀にはサルデーニャ島の獲得と同時に「サルデーニャ王」の称号を獲得。その後イタリア統一運動を主導し、1861年に統一国家イタリア完成させ、を成立させました。しかし第二次世界大戦後、戦争責任を問われ廃位に追い込まれました。

 

 

サヴォイア公国時代

11世紀にウンベルト・ビアンカマーノが神聖ローマ皇帝よりサヴォイア伯と認められたことを起源とし、征服と婚姻により徐々にイタリア方面に勢力を拡大。アメデオ8世 (1383〜1451) の時代にピエモンテ地方の覇権を確立し、1416年にサヴォイア公の称号を得て、サヴォイア公国を成立させました。

 

サルデーニャ王国時代

1720年スペインとの交渉で、シチリアとの交換という形でサルデーニャ島を獲得し、サルデーニャ王の称号を得、サルデーニャ王国が成立させました。その後ナポレオン戦争で一時的に多くの領土を失うも、ナポレオン失脚後のウィーン会議で回復します。

 

イタリア王国時代

ナポレオンにより自由の思想がもたらされたことで、イタリア諸都市で独立運動が活発化。サヴォイア家はこの運動を支援し、イタリア統一運動(リソルジメント)を主導するようになりました。

 

そして19世紀中期に独立戦争を開始し、外国が支配するイタリア諸都市を、次々自国領に組み込んでいきました。1861年にはイタリア統一が一応の完成をみせ、国名はイタリア王国に改めました。サヴォイア家は君主として引き続き君臨。イタリア王国の国旗には、中央にサヴォイア家紋章が配置されたものを採用しました。

 

廃絶

第一次世界大戦後の不況が原因で、労働者を力で抑えつけるファシズムが台頭します。サヴォイア王家はロシアのロマノフ家の二の舞を恐れ、ファシスト政権に協力するようになります。

 

ファシスト政権はその後第二次世界大戦に突き進み大敗。崩壊します。王家もファシストに協力した責任を問われ、王政存続を問う国民投票にかけられることになりました。その結果王政廃止が決定し、サヴォイア家の一族は国外に追放されることとなり、その歴史に終止符が打たれたのです。

 

現在の末裔

イタリア王国最後の国王となったウンベルト2世はスイスに亡命。末裔である、ウンベルト2世の子ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア、孫のエマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイアが、今この記事を書いている2020年時点で存命なので、サヴォイアの血筋はまだ途絶えていません。イタリアにわずかに残る王党派からは「ナポリ公」と呼ばれ神格化されています。

 

一族は2002年に半世紀ぶりにイタリア帰国が許可されましたが、共和国憲法への忠誠を絶対条件に、反乱扇動や名家としての称号を利用することが禁じられています。

 

孫のフィリベルトは歌やダンスに長けており、その人柄がウけてテレビタレントとして活躍しています。立憲君主制の復活を主張するなど政治参加にも意欲を見せていますが、イタリアには保守主義者の中にすら王党派がほとんど残っていないこともあり、知名度ほど政治的影響力はないようです。